いまここにある危機とは… 2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とする東日本大震災の発生からまもなく10年となる。「10年一昔」というけれど、決して忘れてはならない出来事であり、復興への道のりも未だ道半ばである。
思い出話になるが、地震発生から1年4か月が経過した時に被災地を訪れた。以前訪れたときの街並みはなく、未だに、瓦礫があちらこちらで積みあがっている現実をみて呆然としたのを今も鮮明に覚えている。また、釜石の友人と「*呑ん兵衛横丁」で酒を酌み交わしながら、当時の状況などを聞かせてもらったが、「今を必死に生きるしかなかった」という状況には想像を絶するものがあり、「大変だったな」というありきたりの言葉では申し訳ない気がして、何と言葉をかけてよいのか分からないことが辛かった。しかし「それでも前を見て頑張っていくしかない」という言葉と笑顔に逆に勇気をもらって帰った次第である。
(「呑ん兵衛横丁」は、東日本製鉄所釜石地区の近くにあった名物横丁で、製鉄マンの憩いの場として親しまれてきた。震災後も仮設店舗で頑張ってきたが、2018年3月31日の撤去期限を迎え惜しまれながら60年の歴史に幕を閉じた。)
ところで、震災10年の復興政策について宮城県知事の村井嘉浩氏は、「私は、自分で立ち上がるお手伝いをするのが、被災者支援だと思っています。その最低限の支援を税金で賄っていただくのがあるべき姿」との考え方を示した上で、「震災から10年経つわけですから、もう自分で立ち上がらないといけないと思います。一人ひとりが自分の力で立ち上がる。足りない部分を行政が補う。これが公平な社会だと思います」とインタビューの中で答えている。また、震災から10年が経過することについて、「震災10年の節目には盛り上がるでしょうが、それを過ぎたら記憶は薄れます。風化は寂しいです。ただ、色んな地域で災害は起こっていて、被災された方にとってはどれも大災害です。東日本大震災だけが特別という思いは、私は甘えだと思うんです」と語っている。
被災地の知事の発言として少し驚いたが、これまで被災地の最前線で陣頭指揮にあたっている知事としての覚悟が感じられる非常に重たい発言である。(恐らく、これが国会議員の発言であったらメディアの格好の餌食になったのではと思ってしまうのが情けない…)
さて、足元のコロナ対応である。全世界は、新型コロナウイルスとの戦いの只中に置かれているが、外出が強く制限されている状況の中で、個人は孤立し、利己的になり、社会は内向きになっているという。米国のトランプ大統領は去ったが、ワクチンの開発、供給などに、いまこそ国境を越えたグローバルな連携が求められている。しかし、自国第一主義のポピュリズム政治が台頭しつつあるいま、世界の分断は容易には収まらないだろう。
しかし、「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、「人類が地球を支配したのは、唯一ヒトが多数でも協力できる動物だから」といい、そしてコロナ危機への対応について、「私たちは心に宿る善、つまり共感・英知・利他で対処すべきであり、弱者をいたわり、科学を信じ、情報を共有し、世界で協力するべきだ」と世界規模での団結を促している。
そのために政治が果たすべき役割はあまりにも大きい。
ご安全に!
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